斎藤道三

ハナ.jpg 昨日(5月4日)の朝日新聞「天声人語」に岐阜県常在寺が扱われていて、とてもうれしかった。常在寺は、斎藤道三の墓がある寺で、ずうっと昔に訪れたことがある。
 たしか、常在寺は狭い路地が入り組んだところにあり、カーナビなどなかった時代だったので、探すのにとても苦労した記憶がある。ようやく見つけた本堂には、住職はおろか観光客も誰もいないので勝手に見て回ったが、大河ドラマ「国盗り物語」の色あせたポスターがはがれ落ちそうになっていたこと以外は、特に印象に残るものはなかった。わずかな墓石が並んだだけの狭い墓地の中でさえ、道三の墓を見つけるには苦労した。それほどに、小さい、貧弱な墓だった。

 斎藤道三と言えば、比叡山で修行し、その後還俗して京都の油屋山崎屋に入り婿して財をなし、その財力を背景に美濃土岐家の家臣となるが、やがて土岐頼芸を美濃から追放して国盗りを為すという、まさに下剋上を絵に描いたような人物である。
私は、北条早雲と共に戦国時代の先駆けを為した道三が好きで、知人から「好きな武将は誰ですか」と聞かれると、「斎藤道三です」と応えるのだが、たいていの場合その反応は今ひとつだ。織田信長の義理の父であるにもかかわらず、あまりその名は知られていなかった。信長というと、「楽市楽座」を連想する人も多いと思うが、実は道三が「楽市楽座」を美濃の城下町ではじめ、その手法を信長に伝えたとも言われている。武略のみならず、商法の達人でもあったのである。

 今年の大河ドラマ「麒麟がくる」で久々に道三が脚光を浴びることになったことは、道三ファンの一人としてとてもうれしい。今週のドラマで主人公明智十兵衛に「さらばじゃ」と言って右手に槍を持ち、息子との合戦に出かけていく場面は見応えがあった。
 来週はいよいよ長男の斎藤義龍と長良川の戦いで相まみえ、討ち死にする場面となる。多勢に無勢と分かっていても、信長に援軍を頼まず、散り花を咲かせる道三は、やはり戦国時代の武将そのものである。

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