歴史の厚み

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 岩波新書から『シリーズ日本近現代史』が刊行された。ちょうど中学二年生の社会科の授業が近現代史に入るところだったので、授業に生かすために読み始めた。
 読書のスピードが授業の進行に追いつかず苦労はしたが、ようやくシリーズ⑤『満州事変から日中戦争へ』を読み終えた。新書版とはいえ、1冊200ページくらいの分量なので、5冊で1000ページを読破したことになる。こう思えば、結構な厚さである。
 「厚さ」という言葉から、歴史を学ぶ意味とは結局「厚み」を感じ取ることなのではないだろうかと思った。

 国内問題であれ、国際問題であれ、また一人の人間の生き様であれ、その裏には様々な歴史があるはずである。現在起こっているひとつの事象あるいは事件は、あくまでも表面的な現象である。これらを表面だけを捉えて判断するか、あるいはその裏にある歴史的事象を加味して判断するか。その判断の結果は明らかである。このように、正しい判断材料の厚みを増すことが、歴史を学ぶ意味の一つであるように思った。
 アメリカが独立宣言を発表したのは1776年のことである。たかだか200年ちょっとの歴史しかアメリカは持ち合わせていない。もちろん、それ以前に先住民たちの長い歴史があっただろうが、ほとんど抹殺されてしまった。
 アメリカ及びアメリカ人にとって大きな不幸は歴史を持ち合わせていないことなのではないだろうか。過去の伝統や古い慣習に縛られることなく、斬新な発想を持って行動できるという利点もあるとは思う。しかし、歴史の厚みを裏付けとした思考法はひょっとしたらアメリカ人には苦手なのかもしれない。

 このように感じたのは、アメリカ大統領の演説要旨が書かれた新聞記事を目にしたからである(8月24日)。大統領は戦前の日本の軍国主義者、朝鮮やベトナムの共産主義者、イラクやアフガニスタンの過激主義者を全て「反民主主義」という言葉でひとかたまりにしてバッサリ切り捨てている。
 しかし、これらの国々にはアメリカとは比較にならない長い歴史があり、大統領が語っている場面はその歴史のほんの一こまにすぎない。もっと歴史の厚みを考慮した発言であるべきだと思った。
 以上のことは一つの例として書いたまでである。私が思ったことは、歴史を学ぶことが一つの現象を判断する考えに厚みを増し、ひいては人間そのものに厚みを増すことにつながるのではないか、ということである。

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