テストに出ない

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 中学二年生(当時)の会話である。
 「え?小村寿太郎?だれ、この人。知ってるー? 教科書に載ってないよねー」
 「知らない!テストに出ないから覚える必要ないんじゃない?」
 小村寿太郎さんを尊敬してやまない私としては、ぶっ飛ばしてやりたい会話である。

寂しい話ではあるが実は最近、中学の社会の授業ではこのようなことが良くある。つまるところ、テストに出ないことには一切関心を示さない生徒が最近は目立って増えているということである。
 私は社会科に、中でも歴史に興味を持ってもらうことを期待して、授業ではいろいろなエピソードを引っ張り出すことにしている。例えば、桶狭間の戦いのこと、日本海海戦のことなどを話すようにしている。小学生は非常に興味を持って聞いてくれるのだが、中学生の反応は最近手厳しくなってきた。曰く「よけいな話が多すぎる」曰く「テストに出ない話が多く授業が進まない」等々。
 社会に限らず、他教科でも同様なのである。例えば数学で、ちょっと難しい問題がテキストに出てくると、きまって「そんな難しい問題はテストに出ないよ!」という反応が返ってくる。
 昔の中学生からは考えられなかったこのような反応について、私は次のように考えている。
 第一に、「テストに出ない」との反応が間違っている。ズバリ、テストに出るのである。「テストに出ない」というのは、「そのような難しい問題はテストに出してほしくない」との生徒の淡い願望によるものなのである。学校の定期テストでも、公立高校や私立高校の入学試験でも、難しい問題は出題されるのである。だから、「ここまでは解けなければいけない」と私たちが考えていることをテキストに取り入れたり、授業で話したりしているのである。
 第二に、そしてこれが最も重要なことなのだが、「テストに出る」とか「テストに出ない」とかいうケチな考えで授業を受けてほしくないと言うことである。テストのレベルを超えた高度な内容を今から学ぶこと、学習内容に興味を持ち、より深く学ぶ意欲を培うことが、将来の学習にとって計り知れない大きな力となることを、生徒諸君にはどうか理解してほしいと思う。
 確かに私は学習塾の教師であり、学習塾であれば、塾生の成績を上げることが宿命である。そのためには、テストに出ることをたたき込むことは必要なことなのであろう。しかし私は、本当の塾とはテストを超えた、受験に燃え尽きない真の学力を身につけさせることの出来るところだと考えている。テストに出ることだけを勉強し、テストが終われば忘れてしまうような学習であってはならないのである。そして、テストのレベルを超えた学力を持った者だけが、結果としてテストで良い結果を出すことが出来るのである。
 本当の学問とは、例えばテストで良い点を取り、まわりから評価され、自分に対する客観的な評価が増すことを願うために行うものではない。あくまでも、自分自身が納得し理解するためであり、真理追究のために行うものであるはずのものである。良い成績を取りたい、いい学校へ行きたい。そのためだけのために今の中学生が勉強しているのであれば、日本の将来はかなり危うい。

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