スローリーディング

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 「先生の塾でも採用されてはいかがですか?」と紹介され、さる塾の速読法システムを見学した。速読法にはいろいろあるらしく、本などでも紹介されている。

 私が見学した速読法は、本を手にしながらヘッドホーンをあてがって、テープで聞く速度に合わせて目で字面を追うというものであった。
 私も試しにテープの速度を通常の2倍にしてやってみた。まず、何を言っているのか全然聞き取れない。もちろん、テープの速度に合わせて本を読むことなど、とうてい不可能だった。慣れた人なら、聞くことも、読むことも可能だそうである。事実、そのとき来ていた小学校低学年の子供は、私よりもっと速いスピードに合わせて本を読んでいた。この子供の場合、一冊の本を数時間で読み終わってしまうそうである。この訓練により、常人の2倍以上のスピードで読書が可能になる。したがって、長い人生で常人の2倍以上の本を読むことが出来ることになる。
 この能力は、テストでは非常に有利である。多くの生徒は長文が出題されると、それを読むだけで時間がとられ、挙げ句の果ては時間切れで答案用紙をうめることすら出来ないで終わってしまう。しかし、速いスピードで読むことが出来れば、時間にゆとりが出来る。だから、答案を埋められる余裕は十分出来るのである。
 このように考えると、速読法は受験には非常に有利な方法であるように思われる。しかし、果たしてそうだろうか。私はこの速読法を体験して、この方法はちょっと違っているのではないかと感じた。
 世の中に本を読むスピードが速い人はいる。例えば、亡くなった司馬遼太郎さんは、読書家で知られる井上ひさしさんが驚くほど、ものすごい速さで本を読んだそうである。これほどではないにしても、私の身近にも、私とは比べものにならない速さで読み終える人を知っている。このような人たちは、小さい頃から読書に慣れ親しんでいたため、自然と読書スピードが速くなったのであろう。ちょうど、計算練習をたくさんやれば、計算スピードが増すことと同じである。
 これに対して、先述の速読法は、巨人の星の大リーグギブスを思わせる恣意的な訓練によるものである。このような訓練で身につけた読書法には、どこか欠陥が露呈されるように思えてならない。例えば、読書では俗に「行間を読む」と言う表現がある。文字になっていない部分から作者の意図を読み取るということであろう。恣意的な速読法で、このような読書法が身に付くとは思われない。
 最近、これまでのスピード中心の文化が見直され、スローフードとか、スローライフという言葉が聞かれるようになってきた。スローリーディングという言葉があるのかどうか知らないが、じっくりと時間をかけ、ゆっくりと文章を味わう読書生活も捨てたものではない。
 一文一文をていねいに読み、じっくり考え、じわじわと感動を味わい、人生の糧としていく読書法こそが正しいものであるように思われる。

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