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zoom RSS 言葉が軽すぎはしないか

<<   作成日時 : 2012/10/03 00:06   >>

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 「目黒のサンマ祭り」なる祭りが行われた
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とのテレビニュースで、参加者の中年女性が(おいしいさんまを食べさせてもらって)「感謝の気持ちでいっぱいです。」と言っていた。

 スポーツ競技で勝利した選手の言葉を聞いて「勇気をもらった。」とコメントしていた男性がいた。
 何かのイベント参加者へのインタビューなどで、最近よくこのような言葉を耳にする。たかがさんま一匹をただで食わせてもらった程度で、あるいは全く見ず知らずの他人が試合で勝ったことくらいで、どうしてこんなに最上級の感動の言葉が出てくるのだろう。おそらく言っている本人は、このような言葉ほど感動してはいないことだろう。

 大変な恩義に報いようとするときに出る言葉、命に関わる恩を受けたときに出る言葉、そのような言葉が、いとも簡単に使われている、今はそんな軽い世の中になっているのではないだろうか。一生に一度しか口に出してはいけないような言葉を、日常の会話程度にしか思っていない人間は、どうも信用できない。
 自分の発した言葉に最後まで責任を持つことは、かつては日本人として当然のことだった。「武士に二言はない」と言えば、誰でも信用した。今は違う。一国の宰相たるものが「近いうちに」と衆議院解散を口にしておきながら、内閣改造をする。その厚顔、破廉恥ぶりには開いた口もふさがらない。ついに日本人もここまで落ち込んだか、との思いである。小泉元首相が大相撲表彰式で言った「感動した!」がなつかしい。あの言葉は本物だった。

スポーツ選手らがよく言う「必ず勝つことを強く思う。」の「強く」や、特に駆け出しの芸能人や自分に自信のない政治家がよく使う「・・・させていただく」という言葉も違ってはしないか。
 「思う」とは「弱く思う」ことなのか、違う。「強く思う」のだ。だから「強く思う」と言う表現はおかしな表現である。
 「・・・させていただく」という言葉は、一見謙譲の気持ちがあるようでいて、実は違う。そんなに自信がないのであれば、させていただかなくてもいいではないか。

 今、言葉を持って自己を表現しようとする傾向が増加しているように思う。大げさな表現、あるいは媚びる表現を乱発する人間は、たいしたことのない、小さな人間である。現代においては、言葉は人を逆説的に表現しているように思う。人を見る目を養うためにも、人の発する語を吟味すべきである。

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