大学入試英語の民間試験採用について

 yatukumo.jpg2019年9月16日の朝日新聞トップに、大学入試において英語の民間試験を活用することについてのアンケートを高校と大学にとったところ、「問題がある」と回答した割合が、高校では89.1%、大学では65.4%にのぼったとの記事があった。これに対して、新文部科学大臣は、予定通り民間試験採用を実施する方針を示したそうだ。

 国公立大学入試において、大学入試共通1次試験が1979年から1989年までの11年間行われ、その後私立大学まで含めた大学入試センター試験に移行し、現在に至っている。そして、2020年度からは大学入試共通テストと改名されるのだそうである。私の解釈に間違いが無ければ、この共通テストで英語の民間試験(英検など)の成績を合否の判定に入れるかどうか、このことが問われているようである。

 貧困家庭の子どもたちを教える小さな塾の教師として、共通テストをどうするかなどを論じても、それはアマゾンの大火に水鉄砲で応じるに等しく、何の効果も無いことは十分承知している。その上であえて言わせていただくならば、大学入学試験に英語の民間試験を採用するような愚行を取り入れることは、未来の日本国家を滅ぼすことにつながりかねないと思うのである。
共通1次試験採用にも賛否両論があったことは私の記憶にもある。しかしそれは、あくまでも当時大学闘争などで崩壊寸前にあった国公立大学をどのように立て直すか、そのことを熟慮した上での改革案であったと私は思っている。
 しかし、大学入試共通テストで政府が行おうとしているのは、あろうことか国公立大学の入学試験の合否を、金儲けのために行っている民間業者のデータで決めようとしていることである。そして、もっと許せないのは、私立大学よりも、むしろ国公立大学がこのことに前向きなことである。貧困家庭の子どもにとって国公立大学入学はますます遠ざかることになる。
 大学入試、特に国公立大学入試は、国籍や家庭の経済状況を問わず、全ての人びとに平等に開放されるべきである。そこに民間試験を取り入れるなどは言語道断である。このような制度に「問題がある」と回答した割合が高かったことは当然であり、日本の民主主義にとって救いである。
 そもそも大学入試において、なぜ民間試験を取り入れなければならないのか。私が国立大学を受験した時代は、共通一次も民間英語試験も無かったので、入学試験問題は、その大学の教員たちが全て作成した。これが正しいのではないかと思う。自分の大学に入ってもらいたい受験生を選ぶのは、その大学の先生たちだからである。

 ところで、入学試験の英語に民間のテストを採用しようとする理由は何なのだろう。英語では「読む・聞く・話す・書く」の多岐にわたる判定が必要で、それには民間試験の結果を採用することが手っ取り早いから、とのことなのだろうか。
もしそうであるならば、それは違うと思う。各大学では、自分の大学ができうる範囲で入試問題を作成すればそれで良いのではないだろうか。民間業者並みのテストを作成できるのであれば、それに越したことはない。それができないのであれば、そこまでの大学である。だから、そこまでの学生を集めれば良いだけの話だ。
 大学教員が自分の大学に入りたいと思っている受験生とまともに立ち向かうのは、入学試験問題の作成以外にはないだろう。大学教員には入試問題作成を安易に民間任せにするのではなく、必死に頑張っている受験生と同じ思いを共有してもらいたいものである。

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