数の論理-その功と罪

 塾・予備校の世界では「東大○名」「開成○名」といったような、合格者数による宣伝方法が相変わらず主流である。母集団が多ければ合格者数も多くなるのは当然であり、また合格者数が多ければそれと比例して不合格者もそれなりに排出しているはずである。それなのに合格者数だけをことさら鼓舞する宣伝方法はフェアではない。合格者数を出すのであれば、受験者数、つまりは合格率も提示しなければ、塾・予備校としての本当の成果は判断できない。
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 かつて、凶悪犯罪が続いた時期に、それを防ぐために警察官を増強しようとする意見が出て、制度化された。そのなれの果てが今の警察である。世の中のことを何も知らない出来の悪いションベン小僧が警察官になり、権力をバックに好き放題を始める。雇い入れ先の警察署では若者への十分な研修もできないまま、「巡査長」とか「警部補」といった一見権威のある肩書きをつけさせて世に出す。これが今の不祥事につながっている。警察官による盗撮、窃盗、飲酒運転、誤認逮捕等々、新聞紙上を賑わせない日はほとんどない。数を増やせばいいというものではないひとつの典型である。

 逆に、数を減らせばいいともいえないものが、国会議員の数である。選挙公約で「国会議員自らが血を流すべきだ」との趣旨で、議員数を減らすことを公約にしている政党がある。しかし、これは少し違うのではないか。欧米諸国やアジア諸国の中では、日本は人口に比して国会議員の数が多いというわけではない。私は、多くの国民の意見を反映させるために、国会議員の数はもっと多くてもいいと思っている。「国会議員自らが血を流すべきだ」と本当に思っているのであれば、先ずは議員歳費を大幅にカットすべきではないか。本当に、国民のために奉公する気であれば、議員歳費などゼロでも納得できるはずである。どう考えても、民間と比べて国会議員の給与や賞与、様々な特権は多すぎる。にもかかわらず、政党助成金なるものを、この不景気の中でも多くの政党はちゃっかりもらっている。議員歳費を削り、政党助成金を廃止すれば、仮に国会議員の数は今のままだとしても、経費は大幅に削減できるはずである。「自分の収入が減るのは困る。だから議員数を減らして自分の収入は減らさないで」とでも言いたそうな選挙上手国会議員とは、そろそろおさらばしたい。

 数に関する判断は難しい。少なくとも、たとえば合格実績ならば率を、官憲であれば質を、議員であれば志をもっと重視すべきではないか。

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