ファミレスの出現と日本文化

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 ファミリー・レストランの売り上げが、ここ3ヶ月連続で落ちているとニュースが伝えていた。その原因は、東日本大震災による自粛ムードと、焼き肉店での食中毒にあるとのことだった。

 昔は、外食店と言えばラーメン屋かそば屋、それとすし屋くらいなものだった。日本でファミリー・レストランが営業を始めたのは、70年代に入ってからのことだ。そこでは、わずかなお金さえ払えば、和食でも洋食でも中華でも、家庭ではなかなか食べられないものが簡単に食べられるようになった。世の中は高度経済成長のまっただ中、人々はより一層便利さを求めるようになっていた。私は、ファミリー・レストランの開店が人々の心の中から苦労することや辛抱することを奪い取ったのではないかと思っている。
 それまでは、どんな料理にせよ食べたければ家庭で作るしか方法はなく、そしてそれは普通の主婦の腕ではほとんど不可能だった。だから、毎日毎日決まったおかずが食卓に並ぶ必然性に子どもたちは辛抱するしかなかった。それが、ファミレスへ行けば何でも欲しいものが食べられるようになったのだ。もう我慢することもない。こうしてこのときから、室町時代以来何百年と続いてきた日本の食文化が大きな変貌を遂げることになった。多少極端な表現をすれば、ファミリー・レストランの出現が、日本人から大切な日本人の魂を奪い取ったということができる。辛抱することを忘れ、便利さだけを追求する、そんな日本人像がこの頃から築かれ始めたのではないだろうか。そして、その究極の結末が、今回の原子力発電所の事故につながったように思われてならない。いや、これはまだまだほんの序曲に過ぎないかもしれない。遠い未来を見据えることをせず、自然を破壊し、目の前の便利さと金儲けだけに執着する日本は、その内部から液状化をおこし、すべてのものを瓦解させてしまうことになるかもしれない。
 もういい加減、我々は便利さを追求することから解放されるときなのではないだろうか。ほんの数十年前にはファミリー・レストランはおろか、パソコンや携帯電話もなかったしテレビも洗濯機も冷蔵庫もなかった。そもそも電気もそれほど普及していなかった。だから原子力発電所も必要なかった。そして、そんな時代にも人々は普通に生活できていた。
 マルクスは資本主義の後には階級のない共産主義が来ると予言した。その後のソ連邦の崩壊や北朝鮮をはじめとした今の社会主義諸国を見るまでもなく、この予言を信じることは出来そうもない。であれば、いっそ縄文の時代に戻ろうというのが私の持論だ。しかし、この意見は、極端すぎてどうも採用されそうもない。
 ファミリー・レストラン出現の前にも後にも存続し続け、古代から現代まで、人々の中で大切であると認識され、原発事故後、ますますその重要性が高まっているものがひとつだけある。それは教育である。東日本大震災で、土地や建物、預金や現金、そんな財産がいかに役に立たないものであるかを思い知らされた。一方、災害時での瞬時の判断や風評被害に惑わされないだけの適切な判断は教育によるところ以外にはない。もちろん、それだけではない。化学や政治、経済、文化、あらゆることが教育によってもたらされるものであり、今後起こるであろう様々な事態に対処できる力は教育によってしか培われるものではない。
 子孫には美田ではなく、教育をこそ残すことが今後ますます要求されることになるだろう。

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