内申点という魔物

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 他校から赴任してきた公立中学校の教師が、前任校で作成したテスト問題をそっくり新任校で流用した。ケータイで連絡を取り合う能なしのお相撲さんのように、まさかばれることはあるまいとタカをくくっていたのだろう。しかし、この教師を上回る抜け目のない塾があった。その塾ではこの教師が前任校で作成した問題を取り寄せ、「傾向分析」と称して生徒に徹底して答えを暗記させた。結果は目に見えている。この塾の生徒は皆高得点だった。

 以上は、私が人づてに耳にした話であって、それが事実なのかどうかは分からないし、その証拠を持っているわけでもない。しかし、十分あり得る話だと思う。
 まっとうな人間ならば「バカな話だ」で終わってしまうだろう。一つは市民の血税でメシを食っているこの手抜き教師について。一つは答えを丸暗記しただけでテストで良い点を取ろうとする生徒について。そして一つはそのような指導をする塾についてである。
 しかし、残念なことにバカな話で終わらせることの出来ない現実がこの話の裏に潜んでいるのである。それは内申点という魔物の存在である。

 日本全国、おそらくどこの公立高校でも内申点を入試の資料としているだろう。内申点をしっかりとっていれば実力が無くても高校入試に有利に働き、内申点が不足していれば、希望の高校のランクを落とすか、場合によっては公立高校をあきらめ、私立や定時制高校に進まなければならないことになる。
 だから中学生たちは内申点を1点でも多くとろうとする。その手段として、学校の定期テストでの得点力がある。そのような中で、前述のようなアンフェアな行為も起こるのである。

 ところで、この内申点である。相対評価にせよ絶対評価にせよ、学校によって、あるいは教師によって明らかな差異がある。このことは中学生を持つ親ならば誰もが感じていることであろうし、様々な中学から生徒が集まる塾ならば、客観的に評価される生徒の偏差値と、生徒の通う学校によってつけられる内申点とのギャップは明らかに存在すると捉えているに違いない。つまり、内申点は高校入試資料として客観的、公平なものではない。
 さらに言えば、特に実技教科の場合、クラスのリーダー的な生徒や積極的な生徒、つまり、目立つ生徒がどうしても有利に働く。教師は短期間の間に何十人、場合によっては百人を上回る生徒を見、評価付けしなければならない。真面目だけれど目立たない生徒はどうしても不利になる。そして、このような生徒の中にも、将来スポーツや芸術の世界で大きく羽ばたく原石がいるであろう。その道のプロには遠く及ばない、たかだか地方公務員たる中学教師がこのような原石を見抜き、高い評価を与えられるとはとても思えない。

 それでも、内申点を付けること自体は仕方のないことなのだろう。中学生を持つ親も、学期に一度示される内申点を見なければ、子どもの様子を知ることが出来ないだろう。
 私は、内申点を記した通知表の存在はあって良いと思うが、内申点を高校入試の資料にすべきではないと思っている。ちょうど、小学校で「あゆみ」などとよばれる通知表があっても、それが中学入試には全く関係しないようにである。
 中学生やその保護者は、何かあると「内申に響く」ことを警戒し、言いたいことも言えない。これを良いことに、いい加減な授業をして生徒には嫌われていながら、でかい態度をとる公立中学の教師が後を絶たないのである。すべては内申点が入試の資料となるからである。
 神奈川県では学力検査を行わず、内申点とその他の資料だけで合否を判断する前期選抜試験制度がしばらくの間続いた。この天下の愚策とも言える制度が、ようやく数年後に姿を消すそうで、このことは歓迎すべきことである。近い将来、更に一歩進めて入試資料から内申点を全面廃止するところまで発展させてもらいたいものである。

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