ワーキング・プア

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 NHKで再放送された「ワーキング・プア」を見た。最初の放映で大きな反響を呼び数々の賞を得た番組であり、是非見たいと思っていた番組だった。
 ワーキング・プアという言葉自体は新語で、テレビでは現代の新しい格差の現象のように描かれてはいたが、どれだけ働いても厳しい生活を強いられているこのような下層の人々は昔からいた。

 「働けど働けど 我が暮らし楽にならざり じっと手を見る」啄木の歌を共感を持って受け入れられた時代であった。
 貧困層の存在は現代よりもむしろ、終戦直後の時代の方が多かったと思う。
 どのようないきさつでこう呼ばれるようになったかは定かでないが、「ルンペン」と呼ばれる人々がいた。ゴミ箱をあさっては残飯を食べ、野宿する人たちである。ちまたには手足を失った傷痍軍人がアコーディオンを弾きながら義捐金を集めていた。少数ではあったにしろ、餓死する人々やろくに小学校にも行かせてもらえず、家で働かされていた子供たちもいた。
 年末ともなれば「歳末助け合い運動」が始まり、救世軍が社会の鍋で募金活動をしたものである。私も子供の頃、親から小遣いをもらってはNHK歳末助け合い運動にその小遣いを全部寄付して親から怒られたものである。

 その後、高度経済成長時代へと突入。テレビ、洗濯機、冷蔵庫が三種の神器としてもてはやされ、池田隼人内閣が「所得倍増計画」を声高に唱え、「一億総中流時代」と叫ばれる時代が到来したのは、ほんの数年前のことだったように感じられる。

 そして平成の今日、総中流からの経済的格差が広がりを見せている。株で儲けた一部の不労所得による超富裕層に比べて、生活保護世帯以下の所得しか得られない層は、いつしかワーキング・プアと呼ばれるようになった。むろん、誰しも好んでワーキング・プアの立場に陥ったのではない。そこには会社の倒産や離婚、過疎など、ちょっとしたボタンの掛け違いがあったのである。そして、ひとたび下層階級に陥れば、どんなに努力しても貧困の状態から脱出できない層が厚みを増している現実がある。
 このように考えると、戦後の不景気と現代の違いは、富裕層とワーキング・プアとの二極化が際だっていることと言えるだろう。

 テレビでは、中学一年の子供を経済的理由により塾に行かせてあげることも出来ず、子供に勉強を教えている父子家庭の姿があった。一私塾人として、私はこのようなご家庭に対して何も出来ず、恥ずかしく、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 しかし、どんなに自己を恥じ入ろうとも、私にはどうすることも出来ない。なんとなれば、私自身が大手塾の攻勢により生活に窮する立場に陥っている中小塾経営者であり、社員と家族に対して大きな責任を有する立場にあるからである。
 どんな境遇の子供にも塾に入れさせることが出来るかどうかは、極めて政治的判断であって、一私塾人の及ぶところではない。

 同じワーキング・プアの立場にある私に出来ることは、私の塾に来ている子供たちに十分な教育を施し、学費を負担する親に満足感を与え喜んでもらうことのみである。

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