新・頭の悪い子のつくりかた5

画像
5.頭のよい子とは

 前回、私が「子供たち(の多く)」と、カッコつきで「~の多く」と表現してきたのは、「多く」ではないにしても、自己をしっかり見据え、希望と目標を持って謙虚に努力を重ねている子供たちも、まだまだ存在するからです。このような子供たちを見ると、お会いしたことのないご両親であっても、立派な子供の育て方に対し、いつも畏敬の念を感じます。

 「一所懸命」という言葉があります。鎌倉時代、将軍から与えられた一カ所の土地を懸命に守ることです。「一所懸命」から、「一生懸命」という言葉が生まれました。私は一生懸命という言葉が大好きです。自分自身、これまでの人生を不正ややましいことをせずに一生懸命生きてきたと思っています。そして特に、次世代を担う子供たちには、何事にも一生懸命生きて欲しいと願っています。私が私塾の教師であり続けているのは、きっと一生懸命頑張る子供たちを見ていたいからなのだろうと思います。
 今年の中学受験生たちも、本当に一生懸命でした。わずか12~3歳の子供たちが、中学受験という目標に向かって一生懸命頑張る姿を見ていると、出来ることのすべてを注いで応援したい気持ちになります。結果は二の次です。仮に期待する結果が出なくとも、正々堂々と一生懸命生きることが人間としての道だと思います。

 前に私は、頭の良い子は集中力のある子だと書いたことがあります。ここでもう一つ、常日頃考えている頭の良い子の定義があります。それは、「先のことを考えられる子」とでも言えるものです。つまり、「今、こうすれば、このようになる」あるいは「今、これをしなければこのようになる」と考え、それに対して希望や恐れを抱き、一生懸命に対処できる子、ということです。
 たとえば、道に石ころがころがっていたとします。思慮のない子は、何も考えずにそれを蹴ったり拾って投げたりするかもしれません。そうではなく、もし、この石ころを蹴ったり投げたりすれば、人や器物にあたり危害を加えるかもしれない、と考えて次の行動に移ることができるかどうか、ということなのです。私が見て感心する子は、おそらく知らず知らずのうちにこのような訓練がご両親からなされているのだと思います。
 勉強に関しても、親としては子供にただ「勉強しなさい!」と言うだけではなく、勉強すればどのような利点があるのか、勉強しなければ将来どうなるのか、ということ、つまり勉強することの意味を子供と話し合うことが必要なのではないでしょうか。もちろん、いい大学に入って、いい会社に勤め、たくさんお金をもらうため、などということではありません。
 私は塾の教師として、このようなことを、特に努力を怠りがちな生徒に対し厳しく言っているつもりなのですが、他人を見下し、刹那的な生き方がしみこんでしまっている生徒にはなかなか通じず、逆に嫌われ、けむたがられる存在になっています。しかし、今、努力をせず安直に学生生活を送ることが将来どれほど本人にとってマイナスになるかを誰かが子供たちに警告し、知らしめなければいけないと思うのです。その「誰か」が是非お父さんやお母さんであってもらいたいと切望するものです。そうすることが「頭の悪い子」をつくらない道だと思うのです。
 私自身、その器でないことは重々承知してはいますが、これからも私の塾の生徒に対し、機会があれば「人の道」というものを説いていきたいと思っています。ただ単に「成績が上がればいい」「テストに出ることを教えてもらえればいい」という生徒は私にとって全く魅力のない生徒なのです。
 学生時代から、「昭和生まれの明治人」と友人から言われ、鶴田浩二が大好きな私は、やっぱりふるーい人間でござんしょうかねー。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック