合理性

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今あるかどうか分からないが、私が小学生の頃、通信簿に「合理性」という項目があった。どのような意味なのか、よく分からなかったので、兄に聞いたところ「要するに頭がいいと言うことだ」との説明があり、得心がいった。というのも、私は小学生の頃担任から嫌われていたので、通信簿のたいていの項目には○がつけられなかったが、「合理性」だけはいつも○がついていたからである。

 合理性とは、理にかなっていることで、論理的であり、理性的で、かつ無駄がないことを言うのであろう。近代資本主義社会も、土地や因習、ご恩や奉公という封建的思考から脱皮して、合理的精神の芽ばえの中で誕生した。
 一方で、「合理」という言葉には冷酷、冷徹なイメージがあり、そこに情緒の入る余地はなく、この年になって考えると、必ずしも良い言葉とも思われない。ただ、今でも私の生活の中には「合理性」を追求する側面があるように思う。たとえば、単純なことの繰り返し、特に同じ事を二度行うことは嫌であること、最短の時間で仕事をし終えられなかったときに悔しい思いをすること、などである。
 私にとって最も非合理的で無駄なことだと思うことが二つある。一つは喫煙、一つはテレビゲームである。
 「金がない、金がない」と言っている人ほどたばこを吸う。たばこは一箱300円くらいするようだ。一日一箱吸えば、月10000円近くかかる。それだけ金をかけて自分の寿命を縮め、まわりの人に迷惑をかけ、嫌われる。これほどばかげた話はない。恥かしながら、かく言う私も若い頃喫煙習慣があった。当時は、石原裕次郎や小林旭がたばこを吸っている場面を見て「カッコイイ」と思い、たばこを吸うことで石原裕次郎になったつもりでいたものだ。そんな私も喫煙のばかばかしさに気づき、禁煙してもう20年以上になる。
 昔、インベーダーゲームというゲームが流行ったことがある。当時は誰もが一度や二度は100円玉をゲーム機に入れてインベーダーと戦った経験があっただろう。私も何度かやってみたが、楽しいとは思わなかった。
 その後、家庭用ゲーム機が流行り、最近もまた新しいゲーム機が発売されたようだ。未成年者の凶悪犯罪の増加とテレビゲームの普及とは因果関係があるとの記事をどこかで読んだことがある。本当かどうかわからないが、考えられることだと思う。敵を「ぶっこわす」だの、「ぶっころす」だのというゲームがどうして健全な子供たちを育てることにつながるだろう。このようなものを子供に買い与える親の気持ちが知れない。ゲーム機をつくり、販売している会社の社員は、本当に自分の子供にこのような何の特にもならないもので遊んでもらいたいと思っているのだろうか。
 私は数学でなく、算数が好きである。算数にはさまざまな解法があり、その中でいかに最短で正解を導くかを考える楽しみがある。授業の予習や生徒から質問された場合、どのようにして正解を出すか、ということより、どのように説明すれば生徒に納得してもらえるかをいつも考えている。特に文章題と図形は合理的な思考を追求できるので、考えているととても楽しい。
 世の小学生諸君には、視力を低下させる以外、何の特にもならないテレビゲームに興じるより、算数の楽しさをもっともっと味わって欲しいものと願っている。そのことが、合理性を身につけ、更には子供の学力低下を阻止することにもつながるのである。
 もちろん、合理性を追求するだけでは片手落ちになる。読書と合理性との関連は説明できるだろうが、音楽を聴くこと、登山やピクニックをすること、動物を愛護することなどと合理性には関連性がない。芸術や体育で情緒や体力を豊かにさせることも重要であることは言うまでもない。

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