吉村昭論

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 十年前、司馬遼太郎さんが亡くなったときには、この先どうやって生きていけばよいのか、いっそ乃木希典のように殉死してやろうかと、途方に暮れたほど悲しかった。というのも私は司馬遼太郎さんの大ファンで、およそ司馬さんの著作はほぼ読み終えていて、司馬さん亡きあと、次に読むものが無くなってしまうからである。

 そんなとき、吉村昭さんの作品に触れた。最初は『長英逃亡』だったと思う。非常に冷静な目で見、徹底的に現場主義をつらぬき、客観的な判断をする筆致に感銘を受けた。たとえば、竜馬が喜んだ場面を想定してみよう。司馬さんならば、竜馬自身の言葉で「まっこと、うれしいぜよ」と書くところを、吉村さんならば「竜馬は喜びがこみ上げてくるのを感じた」と書くであろう。
 その後、『ふぉん・しいほるとの娘』『黒船』『落日の宴』から最新作の『彰義隊』まで、幕末ものをほとんど読んだ。特に『桜田門外ノ変』はおもしろかった。関鉄之助を中心に水戸藩と薩摩藩の下級武士18人が大老井伊直弼を襲撃する話である。この小説もまた、非常にリアルで冷徹な目で書かれている。井伊直弼暗殺後の現場には、接近戦が行われたため、切り落とされた指が散乱していたという。こんな所まで、良く調べ上げたものだと感心する。
 立山黒部アルペンルートを観光して、吉村さんの作品に黒部第四ダム建設をテーマにした『高熱隧道』があるのを知り、早速読んだ。私たちが簡単に観光に訪れるには、あまりにも苛酷な事実があったことを知り、ツアーの一員として何も知らずにはしゃぎ回っていた自分を恥じた。
 私は、戦記物、特に第二次世界大戦を題材にした書物は嫌いで、吉村さんの作品に接するまで、読むことを避けていた。今年、入院することに決まったとき、まだ読み終えていない吉村さんの作品を買い集めた中に『戦艦武蔵』や『零式戦闘機』があり、入院中に読んだ。『大本営が震えた日』は、かなり以前に読んでいたが、国家機密と思われるような事実を、よくここまで拾い集めたことに驚愕すると共に、吉村昭という作家に、あらためて潔癖さと凄さを感じた。他の作品同様、いや、それ以上に吉村さんの書いた戦記物は客観的に描写されていて、金属器のような冷徹さを感じる。それだけに、戦争を遂行した軍部の無能やこっけいさが読む者に伝わり、戦争の愚かしさを私たちに伝えてくれるのである。
 このような、吉村さんの足を使った取材と、細かな資料の分析力に比べ、昨今の歴史学者の論文はどうしてこうもおもしろくないのだろうと思ってしまう。例えば、岩波書店の『日本歴史』である。資料の引用ばかり多くてつまらないことこの上ない。大学教授という人種は、人に作品を読ませようとして論文を書いているようにはとても思えない。
 数ある吉村作品の中で私が最も好きな作品は『ポーツマスの旗』である。日露戦争後のポーツマス条約締結のためにアメリカに渡った日本全権小村寿太郎が、ロシア全権ウィッテと対峙し、いかに苦戦し、かつ最善を尽くしたかが見事に描かれている。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』の続編といった感じで読んだ。この本により、小村寿太郎さんが私の大好きな歴史上の人物の一人に加わった。
 私は歴史が大好きである。私の歴史好きは大学生の頃からで、当時は邪馬台国論争に非常に興味を持ったし、それは今でも続いている。卒業論文は地租改正を扱った。
 しかし、本当に歴史好きになり、歴史のおもしろさを知ったのは、司馬遼太郎さんと吉村昭さんの作品があったればこそである。私の歴史の授業がおもしろく楽しいと言ってくれる生徒がいる。それは私が司馬さんと吉村さんの本から学びとったことがらによるものなのである。
 司馬さんについで吉村さんも亡くなってしまった。司馬さんにも、吉村さんにもお会いしたことはもちろんない。それでも自分の父親が死んだように悲しい。吉村さんの死は突然だった。司馬さんのときと同様、残念で残念で仕方がない。今、ちょうど『わたしの普段着』という随筆集を読んでいるところだった。もう、新刊が出るたびに胸を躍らせ、本屋さんに行って吉村さんの初版本を購入することはなくなってしまった。今後、吉村さんほどの歴史小説家は出ないだろう。そう思うと、寂しさがこみ上げてくる。月並みな表現だが、ご冥福を祈りたい。こんなとき、吉村さんなら、どんな表現をするのだろう。

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この記事へのコメント

2006年08月25日 04:09
始めまして。
初めて、吉村 昭氏の作品に触れています。
偶然、貴ブログを知りました。
勝手にTBさせて頂きました。
今後とも拝見させて頂きます。
吉村昭資料室
2006年12月13日 08:20
吉村昭論、拝見しました。下記の誤りと思われる物が有りましたのでお知らせします。
『フォン・シーボルトの娘』⇒『ふぉん・しいほるとの娘』
『桜田門外の変』⇒『桜田門外ノ変』
『光熱隧道』⇒『高熱隧道』』
ryo
2006年12月15日 10:55
吉村昭資料室様
ご指摘ありがとうございました。早速訂正しました。
吉村昭資料室というものがあるのですね。とても興味があります。定期刊行物などありましたらご案内ください。
吉村昭資料室
2006年12月15日 19:46
早速の訂正、確認しました。お疲れ様でした。
吉村昭資料室は私個人でやっているHPです。吉村昭叉は吉村昭資料室で検索したらすぐに出るはずです。定期刊行物はありません。日本ではもう一人氏を専門に研究している人がいますが、その方は、年に一度「吉村昭年譜」を刊行しておられます。
吉村昭資料室
2011年01月21日 12:00
数年前にアクセスしました。当時はまだ計画中だったのですが、現在季刊「吉村昭研究」を12号まで発行済みです。来月13号が出ます。もし関心がおありでしたら、ご連絡下さい。

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