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zoom RSS 市民意識の成熟

<<   作成日時 : 2012/02/07 00:53   >>

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 普段は車を利用する機会が多いのでなかなか気づかないが、たまに犬の散歩で歩道を歩くと犬の糞とガラスの破片があちこちに散らばっているのに気づく。

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 今どき、野良犬はそれほどいないと思うので、散歩に連れ出し、糞の処理をせずに知らんぷりを決め込む愛犬家がまだまだ多いのだろう。歩道のほとんどは舗装をしているので、糞はいつまでも同じ場所に転がっている。
 先日、犬の糞害に憤慨した60代のご婦人の投書が新聞に載っていた。投書は、愛犬・愛猫税なるものを設置してはどうかとの主旨であった。お気持ちは十分理解できるし、このような税を徴収されることになれば、愛犬家の私としては迷わず支払うだろう。しかし、残念なことに、このような税が成立すれば、逆に放置される糞は更に増えることになるだろう。その理由は二つある。一つは、税の支払いを逃れるために愛犬を手放す人が出てくると予想されることだ。その結果、野良犬が増えることになる。二つ目は、税を支払うことで免罪意識が生まれ、糞の放置者が増えることが考えられることだ。

 人間は靴を履いて歩いているので、仮にガラスの破片を踏みつけても、大けがに結びつく可能性は低い。犬は「はだし」である。歩道を歩かせていては破片で足を傷つけることも考えられるので、破片が散乱している場所では車道を歩かせるしかない。
 いったい誰がガラスの破片をつくり出すのだろう。子供がいたずらしてコンクリートの塀にガラス瓶を投げつけているのだろうか。あるいは酔っぱらいが空のビール瓶を放置しているのだろうか。いずれにしても、歩道は危険がいっぱいである。

 路上での糞の放置、あるいはガラスの破片づくり、このような行為が善であるとは誰も思わないであろう。では、なぜ人々を不快に感じさせることが後を絶たないのだろうか。警察官が増えれば犯罪が減るとも思えない。税で締め付ければ道徳が行き渡るとも思えない。
 結局は、この国にはまだ市民意識が成熟していないということなのではないだろうか。あるいは、固まりつつあった市民意識のひもがほどけてきているのではないだろうか。昔の親は、人様に迷惑をかけないことを子供にたたき込んできた。その時代はまだまだ衣にも食にも事欠く時代だった。今、特別な例外を除けば、少なくとも衣食に事欠くことはない。そのような人たちが礼節をわきまえなくなってきている。衣食が足りすぎれば礼節もゴミのごとくなるということか。
 

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